世界的にコロナが広がり、各国は各国の対応を行なっている。
一方、世界的な視点で考えなければ、最終的には、地域で生きる私たちの生活も安定しない。
コロナ禍の中、未だに自国優先の施策を取り、他国を責めている国もある。
一方の国も、市民の声を無視しながら覇権を窺っているように見える。
そのベースとなる市民も、アイディンティーのベースを国に置いている傾向がある。
限界が来ている。


新しい「公」のベースは世界市民の考えに基づくものになるよう願いたい。
行政が考える「公」は、自治体であり、国である。
「県のため」「国のため」に動くのは、正しく、正当なことである。
しかし、他国から見ると「好ましくない」ことになることもある。
弱い立場にある市民にとっては不幸なこともある。
その最たるものが戦争である。


 日本に在日韓国人として生まれ、韓国にも留学したが、そこでも、韓国人でもないことを実感した。
「世界のなかの在日韓国人」を実感した。
それは私にとっての解放であり、気づきとなった。「市民社会が世界市民の考え方に立てば、どれだけ平和で幸福な社会になるのだろう」
そこが私が市民社会で、「人をつなぎ、誰も取り残さない共助共生の社会をつくりたい」と考えて、行動に移した原点であるように思う。
自主的で、地域が地域を支える
「新しい公」を地域につくっていく。そのベースは国をも超えた「世界市民」の意識が根付いたものであってほしい。
その先に人と人、地域と地域、国と国がつながるしくみをつくれたらどんなにいいだろう。

写真は5月30日に、淡路島のホテルサンプラザさんより「地域に役立ててほしい」と、3種類のポテトチップ、約100袋を寄贈されました。

同ポテトチップは、地域で子どもやお年寄りの支援を行なっているレトロこみちの野口さんにお渡しさせていただきました。