またも悔しい事件が起きてしまった。
何度、この悔しさを味わっただろう。
このような事件が私を突き動かしている。
児童相談所、学校、親族、市行政、警察だけでは、子どもを守り切れていません。
地域はその現状を見て、「何をやっているのだ」と思っても、自分の問題と思っている人は多くない。
かつて私は、淡路島の人から、「なぜあなたは、淡路島のために動いているのか」と神戸在住の私に尋ねられました。
「そこに人がいるからです」と答えました。 今回の事件から、言えば「声を出せない子どもがいて、虐待やいじめがなくならず、反応しない地域があるからです」と答えたい。
蔵の改修を建物への興味本位で見に来る人はいるが、目的である「寄り添いの子ども図書館」への支援に手を差し伸べる人は少ない。
「偶然の中で、必然をつくる」 私たちは、無関心という非情を乗り越えて、子どもの痛みを敏感に感じ取れる人でありたい。
「皆さんにもできることがあります」 と訴えても届かない。
人ごとのようである。
私の力不足もある。
洲本市本町7丁目にある蔵を、子どもの第3の居場所にしようと、大学院生が夏の暑い中、汗を流している。改修しています。 資金が必要です。 クラウドファンディング中です。
これは、淡路島の方々、及び淡路島に関係する人たちのエンパワメントを掘り起こす挑戦でもあります。 「誰かが見捨てても、私たちは見捨てない」そんなメッセージを持って、仁王立ちしている私たちを支援してほしい。 淡路島に住む大人は淡路島の子どもたちの未来に何を残すのか、問いたい。